岡部支会:針谷自治会
田園風景が広がり、いにしえの歴史を秘めた、のどかな針ヶ谷を紹介します。 針ヶ谷には、縄文期から平安期の集落跡があり、古くから開けていたことが知られる。また、地内に鎌倉街道が通り、「風土記稿」には「村内に一条の道あり、児玉郡本宿より比企郡小川村へ通ず、是に鎌倉古街道と云伝ふ」とある。
位 置
針ヶ谷は深谷市の北西の高台に位置している。遠くには赤城山・妙義山・浅間山・児玉から秩父の山まで一望にできる。北側には、上越新幹線が走り、西側には、藤治川が流れている。
歴史的背景
①針ヶ谷の地名
・京都醍醐寺所蔵の文書には、永徳2年(1382年)「武州榛沢郡針加野村」とある。
・天正9年(1581年)に鉢形城主北条氏邦が弘光寺へ宛てた印判状に、 「針ヶ谷にある仏母院屋敷は・・・」とある。 印判状にいう仏母院屋敷とは今の光弘寺である。当時針ヶ谷は鉢形領であったことが証明されている。
②弘光寺は天平17年(745年)空阿の開基と伝えられている。
・1185年頃、源頼朝より150貫の地を寄進され、弘光寺と号した。
・鎌倉街道が脇を通っている。
・「黒い雨」で知られる、小説家井伏鱒二が度々訪れて、客殿に宿泊した。
・蓮の花が咲く寺としても有名である。
③八幡大神社は天平17年(745年)石清水八幡宮から分霊を勧請した。
・23世法印裕尊は、源頼朝の侍念僧として仕え、頼朝が伊豆に配流された際
にその命を受けて源家再興のため、当社を祈念所として開運を祈った。
・本殿に納められている八幡大明神像は、昭和62年に六郎田天鈴によって彩色されている。また、拝殿には六郎田天鈴の馬の絵も奉納されている。
・5月の出停懇会(でてこんかい)は、藤の花が見事に咲くなかで近隣の方々が集まり巫女舞・和太鼓・歌・楽器演奏を楽しむ憩いの場となっている。
・藤の花をはじめ庭の手入れは、奉仕団によって整備が行き届いている。
人 口(令和4年1月1日現在)
男574人 女527人 計1,101人
環 境
農業が盛んで、畑が多く水田・畜産もみられる。環境保全組合が組織され、地域住民と一体となって環境を整備し、綺麗な街づくりを推進している。
自治会加入世帯数 333
事 業:
①会員相互の親睦
・市民体育祭選手出場及び参加(応援者全員にも弁当配布)
・針ヶ谷グラウンドゴルフ大会
・排水堀の草刈り
・出亭懇会への協力
②環境保全への協力
③市行政に対する協力
④自主防災活動の取り組み
・平成19年に「針ヶ谷自主防災会規定」ができている。現在、具体的な行動様式を検討している。(住民一人ひとりの防災知識と行動力の育成)
・本郷地区の避難所、本郷小学校が災害によって開設された場合の、自治会の協力体制を整えている。
⑤地方自治の視察及び研修
自治会の運営
①西北地区、中地区、東地区から合計18名の代表が選出される。
・自治会長1名、副自治会長3名(内会計1名)、評議委員14名
②自治会長と会計はセットで3地区持ち回りで選出する。
③毎月定例会を開き、2ヶ月先の行事等を検討する。
④地区民参加の行事の後は、参加者との懇親会を行っている。
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